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志賀 喜宏(しが よしひろ)大堀相馬焼窯元16代・あさか野焼窯元にインタビュー

 

         日 時:平成27年11月26日(木)、午後1時30分〜3時
         場 所:あさか野窯
         

1.大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)について教えてください。
大堀相馬焼は江戸時代元禄年間に始まったと言われ、現在まで大堀地区で300年以上継承されている焼き物です。
特徴は、1つは馬の絵が手書きされていること。2つめはうす緑色の釉(うわぐすり)を用い、その後の手法によって生じる青ひび(貫入)が入っていること。それから3つめは二重焼という構造です。入れたお湯が冷めにくく、熱いお湯を入れても持つことができる湯呑みです。
この3大特徴は、他の焼き物とは大きく異なる点です。
原発事故で23の窯元は全国散り散りになってしまいました。もともと後継者不足ではありましたが、再開したのは県内で10件くらいです。

2. 震災後「あさか野窯」として再開された経緯を教えてください。
大堀地区は東日本大震災の原発事故による帰還困難区域だったので、生活するためにどこかへ移住する必要があり、場所を探していました。
私は人が集まる場所でやりたいと思っていました。人に来てもらう場所ではなく、人の中に飛び込んでいこうとこの場所を選んだのです。
先祖代々の長い伝統を受け継いで16代目ですが、郡山の地では私が初代です。
ゼロからという意味で、郡山にふさわしい名前に変えてスタートしようと思いました。300年の歴史をすべて失くすつもりはなく、そのまま継承していこうと思います。
しかし一方で土地を失ったということは、本来の意味の大堀相馬焼はなくなったということです。
伝統工芸というのは、原料のある場所で発祥するという考え方があるからです。
だから、郡山では郡山に合った焼き物にしようと思ったのです。

3.あさか野焼について教えてください。
震災後移り住んだ私たちを温かく迎えてくれた郡山の人々に、感謝の意を込めて新しい焼き物を作りたいという思いから始まりました。 
郡山には原料が無かったのですが、あとで郡山にも粘土があることがわかったのです。郡山の粘土は焼き物にふさわしくなかったので発達してこなかったのだと思います。昔は瓦が発達していたようです。
調べたところ、焼き物にも使えるという確信が持てたので、本来の意味での「あさか野焼」ができました。そしてこの程「あさか野焼」の発表に至ったわけです。
郡山の粘土100%でできるもの、郡山の粘土に他の粘土を混ぜることでできるものもあります。
これからも更にこの土地の粘土で作っていく、名実共に郡山の焼き物の歴史を刻んでいきたいです。

4.陶芸教室について教えてください。
陶芸教室は以前からやりたかったことでした。ただ教えるだけではなく、作品と呼べるようなレベルのものを作れる人を育ててみたいと思っていたのです。ゆくゆくは展覧会などに出品できるように教えていきたいです。
郡山の方に焼き物を知ってほしい、そして焼き物の仲間が広がればいいなという思いがあります。
相馬焼の後継者の育成には直接繋がるわけではありませんが、相馬焼の技術や心が郡山の方に伝わっていってくれたら嬉しいです。
陶芸教室は、火・水・金・土・日に開講しています。昼・夜の時間もご相談に応じてやっていますので、ぜひお問い合わせください。まずは「体験コース」という方も、本格的に「じっくりコース」でという方も大歓迎です。
詳しくはホームページをご覧ください。

5.今後の展望、思いなどをお聞かせください。
仕事面での当面の目標としては、「あさか野焼」を郡山の物産にすることです。
郡山への感謝の形として、郡山の新しい物産のひとつを作りたい。農産物を作っている郡山の方々の頑張っている姿を見て、焼き物屋も頑張ってもいいんじゃないかと思ったのです。
私は作家でもあり、販売者でもありますが、ぜひ郡山の物産として広めていきたいです。
避難者としては、これまでのつらかった過去は捨てて、どっぷりこの地に馴染んでいきたいという思いがあります。やりたい事がたくさんあり、今楽しくてしょうがない。
これまで忙しく仕事をしてきて時間がありませんでしたので、これからは夫婦でゆっくり市内観光をしてみたい。
そして、郡山の地元の人、避難者の人とも、これからも親しい人を増やしていきたいです。

 

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野口 勝宏 写真家
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遠藤 君子 郡山市民生児童委員協議会連合会 会長