FONT SIZE

メインメニュー












ログイン

ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

サイト内検索

Facebook

Twitter


Twitterボタン

青木 淑子(あおき よしこ)富岡町3・11を語る会代表にインタビュー

日 時:平成27年3月15日(日)、午後1時〜2時
場 所:富岡町生活復興支援センター(おだがいさまセンター)

1.「語り人(かたりべ)事業」の活動について教えてください。
2011年3月11日の東日本大震災からいまだに避難生活の続いている富岡町の実態を、2年後の2013年4月1日から「おだがいさまセンター」の事業の1つとして、町民自らの言葉で語り伝える「震災の語り人育成派遣事業」を始めました。
時間が経つと風化して忘れられてしまう。忘れられるだけじゃなく、間違って伝えられる。保障をもらう方は心無い言葉で傷ついたりしている。そしてまた、体験した人も忘れてしまう。
この震災の実態を、被災者責任として多くの人に語り継がなければならない。
そのために、今ちゃんと話せる人を育てなければならないと思ったのが始めるきっかけでした。
人に伝わるように語るテクニック、聞いた人も一緒に考えていく問題として受け取れるような伝え方を学ぶ勉強会を開きました。
そして「富岡町
3・11を語る会」を設立し、当初のメンバー15名で3か月の研修ののち、8月にデビューしました。
語り人としての約束事があります。
まず1つは、行政批判をしないこと。東電が悪いと怒鳴らない。恨み・怒りを言わない。
2つめは、時間を守ること。決められた時間は15分だったり30分の時もありますが、言いたいことは何か!聞かせたいのはどこなのか!というポイントで、その時間内で話す練習をします。
皆さんとても勉強熱心ですよ。「当時のこと」「今はこうだということ」そして「今後のこと」というように、伝えるようにお話をしていきます。
この3月で2年、現在は19名の方が語り人として活動しています。
この1年で2,150名の方にお話を聞いてもらいました。

2. 印象に残っているエピソードはありますか?
実は、震災1年目から音読教室を始めたのですが、その中で原発事故をテーマにした詩をとりあげると、町民の方が「読みたくない」と言ったんです。震災の体験は聞きたくない、話したくないと。
ところが2年目になって、「そろそろ話せるかな。」という声が聞けた。それは印象に残っていますね。
人に話せるようになるまで、この2年の月日が必要だったんですね。
話すにあたっては、日々を自分で整理しているんです。本人にとっても大きな意味があります。
語り人をやることで自分を整理し、話すことで自分が救われている。大きな声を出して話すことも、準備を進めることも毎日の生きがいになっているし、語り人をやる日の前日にはドキドキするなんて言っています。
メンバーの中には20歳の子もいます。当時は高校1年生で、避難中に母親が亡くなりました。
その子が、自分を救ってくれたのは友達、先生など人であるということを、語り人として伝えています。
母からもらった心とこの声で、人を幸せにしたいと言います。
語り人というのは、そんな力を持っていると思います。

3.外国で講演された時のことを教えてください。
フランスのパリとイギリスのウェールズで、原発事故による避難生活や避難者、子どもへの影響などについて講演しました。
原発稼働ということはこうなるということ(富岡のこと)だと話すと、ヨーロッパの人は大変危機感を持って聞いていました。
日本での出来事を自分のことのように考えているヨーロッパの人に比べて、日本人の関心の無さを思い知らされたのも事実です。
ウェールズのアングルシー島というのどかな田園地帯に原発が1基建っていて、これを増やそうと土地の買収が進んでいるのですが、400年続いている農家の農民の方が代表を務め、反対運動をしています。
何百年も羊と共に生きてきたのに、なぜ、雇用とか新産業について考えなければならないのか。
原発は人を不幸にしてしまう。
海外の人が、日本を、福島をとても心配しています。「原発についてあなたはどう思うのか?」「日本の若者は何を考えているのか」と必ず聞かれます。

4.今後の活動について教えてください。
の4月以降は「富岡町3・11を語る会」の独立事業としてスタートします。
「あそこへ行けばいつでも語り人を聞ける」という場所を作りたい。そして県外に避難している人にも語り人として活躍してもらいたいと思っています。
原発事故によって23名の人が直接亡くなっていますし、関連死は250人を超えています。こういった現状を、多くの人に知ってもらいたい。原発54基のことを考えてもらいたい。
何が必要なのかを、知ったことを基準にして考えてもらって、何でもいいから行動してもらいたい。
今の福島を知ってもらうことが1番大事なことで、それを伝えてもらうだけで十分なのです。
講演依頼を受けるのはもちろんのこと、呼ばれなくてもどこへでも行って語りたい。海外へも積極的に行きたいと考えています。

プリンタ出力用画面
友達に伝える

前のページ
中山 貴踏 プロタップダンサー・「VOICE OF FUKUSHIMA」代表
コンテンツのトップ 次のページ
野口 雅世子 郡山市立中央公民館・郡山市勤労青少年ホーム館長